
ビジネスの場などで「性善説」「性悪説」という言葉をたまに耳にします。例えば、
「当社では性善説に基づいて新人教育を行う」
「性悪説に基づいてセキュリティ対策を実施する」
ほとんどの場合このような使われ方をしています。前者はみなが善人である前提で教育すること、後者は悪人を考慮してセキュリティ対策を実施することを意味します。ですが、これは完全に誤用です。そしてこの誤用は到底許容されるべきでないと考えています。以下でその理由を詳らかにします。
まず前述の例がどのように誤っているのかを明らかにするため、「性善説」「性悪説」とは何か軽く触れておきます。どちらも紀元前に中国の思想家が説いた人間の本性に対する考え方です。性善説は孟子によって説かれました。人間の本性は善であり、後天的に加えられた作用によって人は悪に染まりうるとするものです。一方荀子によって説かれた性悪説はこの逆です。人間の本性は悪であり、後天的な努力によって善な性質を手に入れることができるとするものです。
このように「性善説」「性悪説」はそれぞれ人間の先天的な性質は善か悪かに対する考え方であり、人間が善か悪かを指す言葉ではありません。前述のような誤用は実際にポピュラーなようで、ビジネス関連のメディアからビジネス用語として紹介されているようです。(たいていはビジネスシーンでの使い方が誤用であることにも触れられています。)
さて、言葉というのはつくづく生き物だと思います。2年くらい前に「重複」や「代替」を「じゅうふく」「だいがえ」と読むのはあまりていねいではないよな、という旨を綴りました。ですがこれらは完全に間違った読み方ではありません。これらの読み方も誤用として広まるうちに正しい読み方のひとつとして転じてきました。今私たちが完全に正しいと思って使っている言葉も、少し時代を遡るだけで誤用になり得るでしょう。言葉はそれを使う人たちによって移ろいゆくものです。
ですが、誰かによって提唱された考えはそうではありません。仮に後からその内容が変わるようなことがあれば、それは歴史をねじ曲げることを意味します。避けるべき事態です。
「性善説」「性悪説」はそれぞれ孟子、荀子によって唱えられた以上の内容は含み得ません。「性善説」「性悪説」が特定の思想を指す以上、それらを本来の内容を無視して俗語として利用することは容認されるべきではないと考えます。集団的にこの誤用が容認されているのは歴史や思想に対する無頓着があるように映ります。
ちなみに、最初に触れた例において「性善説」「性悪説」という言葉の使い勝手がよいのはわかります。言葉を上からなぞるだけで何を指したいかはわかりますし、換言しようとすると言葉が多くなります。それに「善人」「悪人」という言葉が絶妙に強すぎて浮いてしまう感じもします。この場合、造語を作るのが一番いいんじゃないかと思います。あくまで例ですが、「皆善観(かいぜんかん)に基づいて新人教育を行う」とか「必悪観(ひつあくかん)に基づいてセキュリティ対策を実施する」とか(かっこわるいかな?)。後者の場合は「ペシミスティックな観点から」と横文字にするのもいいかもしれません(横文字はそれっぽく聞こえるからビジネスの場で礼賛されるようですし)。

コメント一覧
最近日本で犯罪が増えてきたことに対して「日本は性善説で考えすぎている」というような主張を見かけます。常々、これ使い方違うよなあと思っておりました。
私が普段から覚えていた違和感を見事に解説してくれて感謝します。
>確かに、挙げていただいたようなフレーズも耳に覚えがあります。
>ビジネスの場だけでなく、記事や論説などでも誤用が浸透しているのですね。
>大変恐縮です。ありがとうございますm(_ _)m
こんにちは。
私の理解が間違ってないかと不安になり
調べた際にこちらにたどり着きました。
以前、社員教育の場で性善説の話をした際に
新入社員に「先輩は勘違いしています」と言われました(笑)
人生で受けてきた影響と共に伝えましたが
私が最初に言った「私は性善説を信じている」という言葉で
この人は勘違いをしているスイッチが入ったようで
そのあとの言葉すべてが私の人生で出会った周りの
人間が善人という話にしか聞こえなかったようです。
本来の意味で言っても受け手によって勘違いが発生し
そのあとの言葉が成立してしまうのも
原因の1つだと感じました。
こんにちは。コメントありがとうございます。
なるほど、そのようなことがあったのですね。
興味深く拝読しました。
確かに誤った意味と正しい意味、どちらも似たようなコンテキストの中で成立しますね。
新入社員の方、勘違いだったとはいえ突っ込みを入れるとは、
その方もなかなか鋭敏な言語感覚をお持ちですね。。(笑)
ちょうど性善説性悪説について調べて同じようなことを思ったのでコメントさせて頂きます。誤用自体も問題ですが、たまに開き直って「言葉とは時代の流れで変化するものだ」とすら言う人もいるんですよね。誰が言ったかも分からない言葉ならまぁいいんですけど、仰る通り性善説性悪説に関しては孟子荀子の思想ですから、捻じ曲げていいはずないんですけどね。
こういうことはビジネス書で結構広まってる部分もある気がします。他にも孫子はよく使われますけど「孫子に学ぶ仕事の拙速術」みたいに何故か拙速至上論の代名詞みたいにすらなってますしね。困ったものです。
コメントありがとうございます。
孫子の言う「拙速」が捻じ曲げられて「拙速は巧遅に勝る」とされ広まっていること、おっしゃっていただいて初めて知りました。そのような誤用もあったのですね。大変勉強になりました。
ビジネス書とかってとにかく横文字を好みそうな印象がありますが、ときどきこのように中国思想を(※よく捻じ曲げながら)引いてくるのは、少し意外な感じがします。
どちらにしても、言葉にある種の「パワー」(説得力とかそれっぽさ)を感じれば、その言葉自体の細部や深いところ、ないし本当に意味するところなどは二の次だという態度は、まあ、本当におっしゃられた通り、困ったものだなと思います…。