スパチャとナイスパはなぜ気持ち悪がられるのか

2021/03/06 0:23

近頃Youtubeでライブ配信(生放送)が増えてきたように思います。予め録画された動画と大きく違うのは、視聴者同士が配信ごとに設けられたチャットルームでリアルタイムに意見を交換できる点です。視聴者のコメントを受けて配信者が反応を示すことができるという双方向性もあります。

Youtubeのライブ配信にはスーパーチャット(詳しくは後述)を導入することができます。チャットルームにスーパーチャットが流れるごとに配信者が「ありがとう!」と反応し、すかさず視聴者から「ナイスパ!」の合いの手。お祭りのようだな~と思う反面、ところによっては湯水のごとくお金が飛び交うので、果たして支払う側の懐はどんな異次元構造になっているんだと邪な勘繰りをせずにはいられませんでした。

とはいえスーパーチャットはデジタルコミュニケーションの新たな側面として盛り上がりを見せています。その一方で、スーパーチャットやナイスパ!をGoogleサーチエンジンに訊ねてみたところ、サジェストには「スーパーチャット 頭おかしい」「ナイスパ 気持ち悪い」が上位に並びました。記事のいくつかに目を通すと、千や万の額をポンと出すことや、視聴者がその行為に「ナイス」と賛辞することに違和感および嫌悪感を呈していました。

このように、少なくとも日本版Youtubeのスーパーチャット文化は温度差が明確に分かれているようです。なぜスーパーチャットや「ナイスパ!」が気持ち悪がられるのか、ちょっと考えてみたいと思います。

本題に入る前に、スーパーチャットとは何かについて簡単に触れておきます。

スーパーチャットとは、視聴者が任意の金額(現在のYoutubeの場合は100円~50,000円)を払って送信する特別なコメントのことです。しばしば「投げ銭」とも表現されます。コメントは額面と一緒に目立つ形で公開され、配信者からお礼を言われたり反応がもらえたりすることもあります。このとき支払われた金額は数割が配信サービス側へ、残りが配信者へ届きます。特に視聴者が多いライブ配信では、自分のコメントを確実に配信者の目に留めさせる唯一の手段です。

前述した「ナイスパ!」は、ナイス・スーパーチャットの略で、言葉の通りスーパーチャットに対しての賛辞です。多くの場合は視聴者が使う言葉ですが、この応酬に配信者自身が乗っかる形で口にされたりもします。

本題に移りますが、まずはスーパーチャットのどの側面が気持ち悪がられているのか、別の事象に当てはめながら見ていきたいと思います。

投げ銭という行為を考えたとき、路上ミュージシャンや大道芸人にお金を渡すシーンが思い浮かびます。スーパーチャット以前より存在したアナログな方法です。例えばこのシーンで、他の客が1万円をギターケースに投じていたとします。これを目撃した感想としては、せいぜい「気前のいい客がいるもんだなあ」程度ではないでしょうか。そもそも、他人が他人自身の財産をどのように使おうと自分には何ら関係ありません。よって、額面の大きさと気持ち悪さの関係性は薄いと考えられます。同様に、自分にとっての明確な見返りがないことに金銭を投じていることが問題ではないことがわかります。

別の例を考えてみます。路上ミュージシャンや大道芸人のパフォーマンス中に、額面はいくらでもいいのですが、客がお金を投じるたびにパフォーマーや他の客が口々に「ありがとう!」「ナイス!」と言っている場面を想像します。パフォーマンスが止まるじゃないか!というツッコミは置いておいて、なんか凄く異様な光景です。私が通行人だった場合は、きっと誰とも目を合わせず足早に通り過ぎます。そして後から思い返して類推するに、恐らくあれは危ない団体の集会だったんじゃないかな、と。

このことから、お金を払うことでコミュニティから賞賛されるというプロセスが問題なんじゃないかなと思います。このプロセスをもう少し詳しく見ていきます。

お金を払うことで賞賛が得られるということは、金額の大小や頻度によって賞賛の濃淡が生まれます。この濃淡はコミュニティ内でヒエラルキーを形作る柱になり得ます。よって、このようなコミュニティで(見えないような形であれ)ヒエラルキーが生まれやすいことは自明です。

このヒエラルキーにおいては、金額をより多くより頻繁に投じれば投じるほど上位にのぼることができます。ヒエラルキーの中に入り上位にのぼることは、マズローの欲求階層説で言うところの3段階目:社会的欲求や、4段階目:承認(尊重)欲求を満たすことに繋がります。つまり、金銭を払う対価としてこの社会的欲求や承認欲求の充足が得られると言えます。

ここでデジタルコンテンツに聡い方はピンと来るかもしれませんが、従量課金制を採用しているソーシャルゲームにおけるコミュニティも往々にして同様の側面を孕んでいます。スーパーチャットを導入している配信とソーシャルゲームのコミュニティの性質は源流を同じくしていると考えられます。

結論としては、日本版Youtubeにおいてスーパーチャットが気持ち悪がられる一因に、「視聴者が金銭を払うことで視聴者自身の社会的欲求、承認欲求を満たすことができる」という構造がスーパーチャット制度の周縁で形成されていることが考えられます。反対に、スーパーチャット制度そのものは煙たがられる直接の原因ではないと思います。

ライブ配信にしてもソーシャルゲームにしてもそうですが、誰にでも開かれたものであるうちはコミュニティが大きくはなれど対外的に力を振るうようなことはあまりないんじゃないかなと思います。コミュニティを開いたものにするか閉じたものにするかを司れるのは最終的にはツールの仕様です。今後こういったコミュニティが閉じる方向でツールがデザインされていけば、対外的に危害を加えるようなコミュニティが一から形成され得るんじゃないかなという不安はちょっとあります。少なくとも、承認欲求の充足を担うコミュニティがインターネット上で形成可能という時点で下地は十分なのかなと。

あとこれは欲求階層説を引いていてふと思ったのですが、現在の社会の発展段階において「金銭の対価として社会的欲求や承認欲求を充足させることがおかしい」というところにコモンセンスがあるとすれば、発展段階がより低次の社会においては金銭を以てより低次の欲求を充足させるのはおかしいという話になるんでしょうか。例えば、昔は「お金を払うことで安全欲求を満たすのはおかしい」っていう風潮があったのかな。保険に金払う奴の気が知れねえ!安全な暮らしは個人の努力で確保すべきだ!みたいな。

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