見てしまったけど、都合が悪いから見なかったことにする。そうした見て見ぬふりは、第三者による観測が可能な行為を伴います。それに対して、「気にして気にせぬふり」は完全に自己の中で完結しています。
第三者からわかる行為は、指摘が可能です。指摘によって、自分がそれを行ったという事実を意識の中に取り戻す、ないし具現化することができます。ですが、第三者から観測しえないものは、それが不可能ですから、それが起こった瞬間が過ぎ去ってしまえば再認知が難しくなります。
自覚することによって楽になることがあるとすれば、かつて気にせぬふりをしてしまった「気」をポンと目の前に具現化できる魔法でもあればいいんですが。それがないのであれば、気にせぬふりは体に毒かもしれませんね。
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