外に出て空気を吸うこと

2020/10/05 22:52

先日、久しぶりに外に出て運動をしました。屋内で運動することは度々あったのですが、運動をするためだけに外に出たのは1年ぶりくらいになります。

最近の生活は専ら屋内で完結していることもあり、特段の用向きがなければ外に出ていませんでした。運動のような健康増進のための活動も屋内でできますし、陽を浴びて外の空気を吸うのも網戸のそばでくつろぐくらいで十分でしょうと。中途半端に外に出て蚊に襲われるのがいやだったのもあります。

そんな引きこもりマンが外に出て思ったのが、「あ、悔しいけど外に出るって大事なんだな」ということでした。これはあくまで私個人の感想であって、これから挙げることは個々の精神状態や構造によって共通していたりしていなかったりするかと思います。先に身も蓋もない総括をしてしまうと、多分あんまり私は引きこもり耐性が高くないようです。出不精ではあるんですけどね…。

外に出たときにダイレクトに私の身に起きたことは、体調の改善でした。それまで数日間くしゃみや倦怠感、息の浅さに悩まされていたのですが、どういうわけかそれらが概ねよくなりました。人体に関する知識はめっぽうないので、これがどういう作用によるものかは見当もつきません。「人間たまには外に出たほうがいいんだろうね」といういささか乱暴な教訓になりかねませんが。少なくとも自分自身に関してはそうなのかも。

精神的な面で起きた変化は、大きく分けて2つありました。外界からの刺激の受容と、機能的空間からの脱却です。

前者に関しては、同じ景色の中で終始する毎日の中で全く違う景色を目にすることで、脳が刺激を受けたんだと思いますが、頭の回りが少しよくなったように思います。同じ楽曲ばかりをループ再生していたら段々飽きてくるように、ひとところに留まり続ければ視界から受ける刺激が薄れてくるんだと思います。オンラインゲームの中で各地を旅していろんな景観を目にしてるんですけどね。推測ですが、そういうバーチャルな経験は刺激の受容の一助にはなるものの、現代では所詮2Dということもあり、実際の景観の刺激には及ばないのだと思います。このことに関しては、昨今はやりのリモートミーティングにおいて感じる実際のコミュニケーションとの差と似た構造があるように思います。平面化すると情報量が著しく減るということですね。じゃあ3Dの世界ならどうか、それとも現実世界と真贋の判断がつかないほどのバーチャルリアリティーなら…という議論は、いずれ考えてみたいテーマです。

後者の機能的空間からの脱却ですが、そもそも、屋内っていやになるくらい幾何学的というか。建築に携わる方や絵画を嗜む方には経験があるかと思いますが、家屋の内部の図面を引いたり絵を描くときって往々にして直線の連続なんですよ。空間は四角形で、机も棚も椅子も四角形で、椅子は角をちょっと丸くさせて…とか。丸いテーブルとかもありますが、丸い場合は審美的な理由であることが多く、例えばテーブルの場合は丸くする分四角よりも表面積が減るわけですから、機能性に欠きます。何が言いたいかというと、屋内空間というのは基本的には機能を充足するために作られているということです。
そのような屋内空間に留まり続けると、人間は空間に沿った動作を余儀なくされるので、やがて生活が機能を充足するために営まれるようになりがちな気がします。「次は風呂入って、その後歯を磨いて、その後は…」という機械的な生活を送っている感覚が最近はありました。あたかも自分がただの精神体になったような感覚も。先ほど家屋の内部は直線の連続だと述べましたが、人体は曲線の連続なんですよね。ヒトを描いてみようとしたときに定規を持つ人はそうそういないかと思います。機能的空間を内面化すると非幾何学的な人体が疎ましくなる過程なのでしょうか。私にはいささか息苦しくなりました。
前提が長くなりましたが、外に出ることが前述したような機能的空間からの脱却に繋がりました。息苦しさが緩和して、少しゆとりを持てたように思います。動植物も、大自然も、地球も直線では描けません。そうしたものとのふれあいが人間の非機能的な部分を承認して充足させる面があるのかもしれません。

だらだら長くなりましたが、また息がつまってだるーい感じにならないように、時々はお散歩でもしてみたいと思います。とか言いながら1週間たったらただの出不精に戻ってそうですが。

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