「社会人」として組織の中で働くようになってからというもの、
ビジネス特有の言葉や言い回しを耳にするようになりました。
ある環境や共同体があれば、それ特有の言葉が生まれてくるのは必然かと思います。
そしてそれらに属する上では、多かれ少なかれそれらの言葉を共有することになるでしょう。
学生時代なども、所属する共同体が変わる毎に変化する言葉がありました。
(もっともこのような時期は、どちらかと言えば知能の発達と共に変わる言葉の方が圧倒的に多いとは思いますが。)
しかし、この「ビジネス特有の言葉」のいくつかは、どうにも肌に馴染みません。
馴染みたくないというのが正しいのか。
属する以上必要に迫られれば用いたりはしますが、プライベートでは使いたくないなーといった感じです。
そういった言葉を、備忘や頭の整理を兼ねて書いてみよーシリーズです(シリーズ化するか不明)
まずはこれ。
「感覚値」とは何ぞや?
「感覚値からすると、このようなやり方も受け入れられるのではと…」
「~という感覚値を持って取り組んでいこうと…」
このような使われ方を耳にするのですが、
端的に言えばその接尾辞いる?ということですね。
最初「かんかくち」は「感覚知(knowledge from sense)」を念頭に置いて使われているのかとも思いましたが、
「かんかくち」をGoogleに訊くと「もしかして:感覚値」が返ってくるため、
一般的に「感覚値(value of sense)」として使われていることの方が多そうです。
私が耳にするようなケースではたいていの場合、「値」を抜いても意味が通じます。
単に感覚ではなく感覚「値」と言うからには「それはいくらか」「どの程度か」という問いに対応し得るかと言えば、そうでもないです。
ではなぜこのような言い回しがされるかに関して、私はこう思います。
ビジネスの場でのやり取りは数字主義的です。
数値を欠いたやり取りは著しく説得力を失い、誰かを動かす力を持ち得ません。
「より定量的な表現を用いなさい」とは、新人研修時代に耳にタコができるほど言われたものです。(拒絶感を覚えたのは言うまでもない)
しかし、現代の科学は人間の感覚の表現に関しては発展途上であるように思われます。
人間が考えたら恐らく誰しも尤もと思うらしいことを、数字で科学的に表現しろと言われて行き詰まるような経験は、多かれ少なかれ有するのではないでしょうか。
そのような感覚レベルで尤もらしいことを、ビジネスの場で用いる必要に迫られることがあります。
しかし、ただ単に「感覚」と言っては、自身の言葉から説得力を失墜させることになります。
そこで接尾辞に「値」をつけることで、「感覚」にある種の科学性を帯びさせ、そのような事態を避けることにある程度成功しているのではないでしょうか。
かみくだいて要約すると、苦しまぎれにそれっぽく言ってるんじゃねーのって思ってます。
最近は数字が持つ力がどこもかしこも強すぎる気がしますね。。。(´`;)