在宅ワークと私的空間の侵食

2020/08/07 0:30

「在宅ワークが始まってから家で仕事のことばかり考える」
「休日も仕事場にいるような気分になる」
在宅ワークをされている方の中にはこのような感覚になる方もいらっしゃるのではないでしょうか。少なくとも私はなりました。

新型コロナウィルスの災禍の中で急拡大した在宅ワーク(リモートワーク)制度ですが、十分な知見の集積が行われないまま導入せざるを得なかった企業も多かったことと思います。

さて前述のような感覚ですが、私は公的空間と私的空間の未分化性が問題なのではないかと考えています。例えば従来のような、家で寝食の時間を過ごして仕事場へ行くような働き方においては、明確に公的空間と私的空間が分かれていました。自宅は私的空間、職場は公的空間といったように。公私というのは明確に分かれていて、それが場所や服装によって切り替えられていた。逆に、公私が曖昧な場所ってあまり存在しなかったのではないでしょうか。

ですが例えば、自室で在宅ワークを行うことになったとします。自室はもともと食べたり遊んだり寝たりする場所でした。しかし業務になった瞬間、自室で公的な振る舞いを求められます。職責は公的な場と同様に果たす必要が出てきますし、カメラを通じて会議をすることになれば態度や話し方も今まで公的な場で行ってきたそれになります。したがって自室という場所が公私両方の役割を持つことになります。言い方を変えれば、私的空間が公的空間によって侵食された形ですね。

多くの人が形は違えど似た状況に直面しているのではないでしょうか。自分の書斎とベッドルーム両方が自宅にあるような恵まれた環境にあるケースはごく一部だと思います。少し脱線しますが、「在宅ワーク中は仕事着を着る」といった対処法は、前述した公私の服装による切り替えという観点においてとても理にかなっていると思います。私は着替えるのが面倒くさいのでやりませんでしたが。

このような公私が曖昧な場ですが、場所としてはあまり思い当たらないものの、ネット上ではこれまでも経験されてきたことだと思います。例えばわかりやすいところではTwitterがそうですね。発信を「つぶやく」という語で表現していながらも、内容は公的なものから私的なものまでさまざまです。それらが一本のタイムライン上に無造作に並べられる。アカウント毎に公私が必ずしも明確に分かれているわけではなく、普段「ねむい」「だるい」とつぶやいていたアカウントが突如「【拡散希望】今度××でイベントを開催します。是非お越しください。」とか言うのは決して特別な例ではありません。このような場で発信することは、こうした公私の未分化性を受け容れる過程だと考えています。

ネット社会で過ごす機会が多いのはデジタルネイティブな若年層で、このような公私の未分化性に対する経験は比較的若年層に分があります。

話は変わりますが、企業の中で一部のシニア層が在宅ワークを嫌い、そうでない層と衝突するという問題があります。シニア層が在宅ワークを嫌う理由はそれぞれでとても一様に語れるものではありませんが、理由のひとつにこうした公私の未分化性を乗り越えらえないというのがあるのではないでしょうか。公私が未分化な状態に対する経験が浅く、冒頭に挙げたようなモヤモヤを若年層よりも強く感じるのではないか、と推測しています。

書いてて思いましたが、自宅の様子を公開している動画配信者の方は非常に公私が未分化な状態にあると思うのですが、どのようにして精神的に折り合いをつけているのか少し不思議ですね…;

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