2024年になりました。本年もよろしくお願いいたします。
毎年恒例になりつつある総括ですが、今年もなにか書きます。
最近、「こういうのでいいんだよ」というフレーズをよく耳にする気がします。自分も、ふと口をついて出そうになることがままあります。起りはよく知らなかったのですが、某グルメ漫画の一節だそうです。全文は『ほー いいじゃないか こういうのでいいんだよ こういうので』。それがネットスラングとして伝播したようです。
なんでこのフレーズが口に馴染むかを、自分なりに少し考えてみます。
こういうの「で」いいということは、少なくとも「こういうの」は自分の理想に完全に適うものではないように思われます。だが、自分を満足にすることができる。一定のラインを超えている。そういう点において、「こういうの」は十分である。
ずっと日本語だと思ってました…。
「アリバイ」はてっきり刑事用語かなんかに端を発しているものだと思ってました。犯人を「ホシ」と呼ぶのと同じ類の言葉かと。アリバイのアリは虫のアリで、通ったあとに特有のフェロモンを残すことから、「蟻這い」で「アリバイ」。なんかそれっぽくないですか。ずっとそう信じてました。
正しくは、「他の場所に」を意味するラテン語の副詞に由来するようです。英語では “alibi” とつづるようです。近くの言葉ですらなかったです。どっかで恥をかく前に知ることができてよかった…;
昔、社会人になったばかりの頃、まわりの人たちの「言葉の遣い方」に強い抵抗感を覚えたことがあった。あいまいさをなくし、主観的な表現を排し、むだと「認識齟齬」をきらう。伝えたいことがそこにあるとすると、それらの言葉遣いはそれを四方から定規で囲み、徐々に狭めて、追いやっていくようだった。私にはそのような言葉遣いがひどく息苦しかった。大学にいた頃に手にした「自由な言葉」が、そこでは否定されていたような気がした。今となってはそのような言葉遣いにもすっかり慣れてしまったが、そんな感情があったことをふと思い出した。
大学で文系の学問を修めていた頃、言葉は水面に投げる小石のようだった。ひとつの言葉が波紋を広げ、つぎつぎと意味を押し拡げていく。それが次の発想を喚起して、波紋が連鎖する。そのような試行の先に、新たな気づきがあった。
食後につい甘いものが食べたくなって、よくチョコレートに手が伸びます。最近その頻度が増えているような気がする。食べるたびに「あーチョコレートってやっぱうんめえ」ってなる。考えることが多いからかしら。