ずっと日本語だと思ってました…。
「アリバイ」はてっきり刑事用語かなんかに端を発しているものだと思ってました。犯人を「ホシ」と呼ぶのと同じ類の言葉かと。アリバイのアリは虫のアリで、通ったあとに特有のフェロモンを残すことから、「蟻這い」で「アリバイ」。なんかそれっぽくないですか。ずっとそう信じてました。
正しくは、「他の場所に」を意味するラテン語の副詞に由来するようです。英語では “alibi” とつづるようです。近くの言葉ですらなかったです。どっかで恥をかく前に知ることができてよかった…;
ずっと日本語だと思ってました…。
「アリバイ」はてっきり刑事用語かなんかに端を発しているものだと思ってました。犯人を「ホシ」と呼ぶのと同じ類の言葉かと。アリバイのアリは虫のアリで、通ったあとに特有のフェロモンを残すことから、「蟻這い」で「アリバイ」。なんかそれっぽくないですか。ずっとそう信じてました。
正しくは、「他の場所に」を意味するラテン語の副詞に由来するようです。英語では “alibi” とつづるようです。近くの言葉ですらなかったです。どっかで恥をかく前に知ることができてよかった…;
昔、社会人になったばかりの頃、まわりの人たちの「言葉の遣い方」に強い抵抗感を覚えたことがあった。あいまいさをなくし、主観的な表現を排し、むだと「認識齟齬」をきらう。伝えたいことがそこにあるとすると、それらの言葉遣いはそれを四方から定規で囲み、徐々に狭めて、追いやっていくようだった。私にはそのような言葉遣いがひどく息苦しかった。大学にいた頃に手にした「自由な言葉」が、そこでは否定されていたような気がした。今となってはそのような言葉遣いにもすっかり慣れてしまったが、そんな感情があったことをふと思い出した。
大学で文系の学問を修めていた頃、言葉は水面に投げる小石のようだった。ひとつの言葉が波紋を広げ、つぎつぎと意味を押し拡げていく。それが次の発想を喚起して、波紋が連鎖する。そのような試行の先に、新たな気づきがあった。
食後につい甘いものが食べたくなって、よくチョコレートに手が伸びます。最近その頻度が増えているような気がする。食べるたびに「あーチョコレートってやっぱうんめえ」ってなる。考えることが多いからかしら。
今年の猛暑日は9月末までで90日を数えたそうなんですが、そんな暑い日々が釣瓶落としのように冬の寒さへと転じました。例年の秋はもう少し、過ごしやすいだとか、焼き芋がおいしそうだとか、紅葉がきれいだねとか楽しむ余裕があったように思うんですが、そんな暇も感じられなかったのは私だけなのか。急変した気候によって、気をつけてはいたものの少し体調を崩してしまいました…。
やがて気温の変化も落ち着いてくると体が慣れてきて、「あー、こんなもんだったっけ」と思うようになりました。温かい装いを引っ張り出して、こたつ布団を用意して、鍋をつつく。そこにはいつもと変わらない初冬の日常があります。喉元を過ぎればなんとやらと言いますが、人は秋さえも忘れることができるのでしょうか。
なにかが急に変わって、それでもその状態に適応できるのは、生物の強さだと思います。ただ、それって失ってもいいの?ということも意外とあっさり脱落させることができるように、最近よく思います。数年前、十数年前の季節の巡りがどのようであったかを、いま簡単に思い出すことはできません。でも、今のそれとはそれなりに違っていたんだろうなあとは思います。大事ななにかを失い続けているような気分になるのは、そういうお年頃だからなのかもしれませんが。
9月です。暑さは落ち着いてきたものの、依然夏の装いです。もうそろそろ秋を感じ始めたいです。
先日、半袖の部屋着がほしくて買い物にでかけました。ですが陳列されていたのは秋冬の品々でした。もう遅かったか…。たしかにふつう9月は秋物の季節ですよね。
売り場の目立たないところにあるのをようやく見つけて購入しました。外気温も高いし、もう少し売り場にも夏の名残がほしかった…。